別居・家族不仲を経て俺が痛感した
「自分を捨てる危うさ」と家族再構築の話をします。
家族の顔色を伺って
自分を殺さないでね、って言う内容。

「家族が一番大事だから、自分の趣味は後回しにするのが当然」
昔の俺は、ずっとそう思っていました。
妻との関係がうまくいかず、
ついには事が起こった時まで。
俺は、自分さえ我慢すればいいと思い込んでいたんです。
完全にそれは、妻の機嫌を損ねないため😭
例えば小さな趣味に使うお金すら
「贅沢だ」と感じるようになっていました。
そして2時間くらいしかかからない
自分の趣味すらも、億劫に・・。
でも、あのときの自分に言ってやりたい。
そして、そのように過ごしている人全員に伝えたい。
「自分の趣味は、我慢しなくて良いんだよ」と。
今日は、その理由を書きます。
事が起こったのは、お互いに不満が溜まっていたから
事が起こったきっかけは、非常に些細なことでした。
お互いがお互いに趣味を持っていましたが
子供をどちらが見るか、
片一方が見ることに負担がかかるから打ち込めない。
子供達にも文句を言われ、やりたいのにやらせてくれない。

そのお互いの不満が、爆発する形に変わり
とうとう警察沙汰にまで発展ーー。
子育てしながら働くってやっぱり大変で
そう言う時に「発散する場所・リフレッシュする場所」が
一切なかったんです。
趣味を我慢すると、心が死んだ
それでは今はどうか。
今ではお互いがお互い好きなことをじゃんじゃんやってるし
「やりたい!」って時には
お互いが協力し合える環境になってる。
例えば俺だったら「サーフィン」とか
「一人で近くの温泉に行く」とか
あるいは「飲みに行く」とか。
割と遠慮せずに「この日こーするからよろぴくね」
みたいな感じで伝えられている。
妻は柔術が好きなので、
練習にいきたいって言う日には
俺が子供二人と夜過ごして寝かしつけを行ったりしてる。

つまり、「自分の趣味は、心の酸素」なのかもしれない。
人って、楽しいことがないと、どんどん表情がなくなる。
「ハリ」もなくなる。顔が死んでくる。
そして自分に戻れる時間があるから、家族に優しくもなれる。
趣味を我慢していると、心のどこかがずっと渇いてる。
それは家庭の空気にも必ず伝わると考えてます。
逆に我慢しない方が家族のためになるよ
これは誤解しないでほしいんだが、
一切我慢せず、動物のように本能的に生きろ。
これとはお話が違うと感じる。
何事においても、バランスは大事。
でも「ゼロ」にするのは絶対にダメだと思う。
俺は、妻と再構築する過程で、こう決めた。
- 我慢せずに趣味をしたければ言う
- と言うかそもそも、「顔色を伺っていないか」を認知し、認知してたら気にせず伝えるw
- 我慢しているストレスも認知し、そう思ったら遠慮せず趣味をする
すると不思議と、妻も少しずつ自分の趣味を取り戻していった。
そしてお互いに思いやりを持てるようになった。
夫婦で笑って「今日の趣味、どうだった??」
なんて話せるようになったのは、
お互いに“自分の趣味を我慢しなくなった”からだ。
「趣味=ワガママ」ではない
正直、趣味やれてない事について
「大人なんだから」「子供もいるんだから」
しょうがないって思ってない?
特に男性は「一家の大黒柱だから」と
自分を後回しにする癖が強い。
だけど趣味を持つことは、ただの「ワガママ」じゃない。
- 精神の健康を守る
- 夫婦や家族に笑顔を取り戻す
- 家庭以外の居場所を持つ
- 自分を好きでいられる
趣味を続けることは、家族を守るためでもあるんだと俺は思う。
趣味を諦めた過去の俺へ
もし、今この記事を読んでいるあなたが
昔の俺みたいに思っているなら――
家族が大事だから、自分は我慢しないといけない
その考えを一度疑ってみてほしい。
家族のために自分を捨てることが、本当に家族を幸せにするだろうか?
少しずつでいい。
「趣味を取り戻す」ことは、自分を取り戻すことだから。
そのほうが、きっと家族との笑顔の時間は増える。
たぶん、子供にも影響あると思うよ。
あ、大人になっても好きなことやってていいんや、みたいな。

俺は、あの頃趣味を捨てたことを、今も少し後悔している。
でも、あの経験があったからこそ「趣味は我慢しない」と強く言える。
家族を大事にしたい人こそ
自分の趣味を大事にしてほしい。
それが、家族を大切にすることにつながるから。
「趣味は贅沢」じゃない。
趣味は、生きるために必要な“心の酸素”だ。
どうか、自分の好きなことを諦めないでほしい。
心から、そう思っている。
好きなこと、今すぐやろうよ。